かおりんという、峠の学び舎の代表とポテチを食べながら話した。最近の話から、過去の話、子どもの話。
少し前は、文で細かく面白味をもち綴りたいと思っていたが、今はもう忘備録的なものでしかない。この表現の衰えというのか、どうでもよさというのは、自暴自棄なおばさんの境地なのかと思う。
しかし、表現するにあたって「恐れ」や「恥」がまだ私の中に存在している。
今日、峠の学び舎に作品を展示してきた。
そっと、自分を皮を風にさらして、風景になる必要がある。
内臓の生々しさをレバーを風景として見せることが出来たら、私はプランターから地植えになるんだろうと思った。