mariannelife

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仲間

 

写真:東京都 世田谷公園 (2019.7)/ 初めて逢うこどもたち、5才から11才が一斉に肩を組んだ。

 

 

 

 

幼児期に、仲間と力を合わせたり、喧嘩をしたり、汚くなったり、危ない事を知ったり、デカイ声を出してみたり、ごはんを抜いて遊んでクタクタになって家で白米がごちそうになったりと、太陽の下で全身で体得し遊んで欲しいと思っている。

今、通う場所にできない事を家庭で実践したいとも思うと、仲間の数だったり場所だったり、考えだったりどう手を繋いで行ったらいいかと脳みそをフル回転させます。

通う場所を変えること考えた時、家庭で話し合い結果単なる親のエゴだとも思いました。今、小学校に上がる残りの一年近くをどう過ごそうか、まだ一年、もう一年しか、この場所に来たからには楽しんでやろうと一心になるが、、、夏と意気込みに疲れを感じて参りました。

 

 

現代多種多様という言葉があふれ、何かにつけ、ひとそれぞれ、適切に寛容な今を感じていました。私の友人がそこを疑問に思っていたようで、「真実は一つなのに。」という言葉がハッとした。現代、宗教や障害や病気や貧困や国籍やあらゆる違いは認め合うダイバーシティだとかなんとか言ってインクルージョン教育もその一環かもしれないし、風潮は変化している。そこに待った!を掛けた一言に感じた。「それぞれ」なんだけど、「ばらばら」

違いを認めたり、みんな違ってみんないいとか、綺麗な言葉で包まれる多様性も、その想いを貫くあまり他者を振り回すのは別のなのかなと思った。

複雑な事を考えてしまうが、単純な部分に真や新や芯は隠されてる。そのシンに隠されて服を重ね着させて厚みを憂いている源はきっと自分だろう。それに気づかせてくれる仲間に感謝です。