mariannelife

higashiyoshino since 2018

根づく暮らし

鶴川の家を買ったのは、昭和15年で、映ったのは戦争が始まって直ぐのことであった。別に疎開の意味はなく、かねてから静かな農村、それも東京からあまり遠くない所に住みたいと思っていた。現在は町田市になっているが、当時は鶴川村といい、この辺に(少なくてもその頃は)ざらにあった極くふつうの農家である。手放すくらいだからひどく荒れており、それから30年かけて少しずつなおし、今も直し続けている。

もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足する時は無い。綿密な計画を立てて、設計してみたところで、住んでみれば何かと不自由な事が出てくくる。さりとてあまり便利に、抜け目なく作り過ぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。

田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。ひと口に言えば自然の野山のように、無駄が多いのである。

牛が住んでいた土間を、洋間にして、居間兼応接間にした。床の間のある座敷が寝室に、隠居部屋が私の書斎に、蚕室が子供部屋に代わった。子供達も大人になり、それぞれ家庭を持ったので、今では週末に来て、泊まる部屋になっている。あくまでも、それは今この瞬間のことで、明日はまたどうなるかわからない。そういうものが家であり、人間であり、人間の生活であるからだが、原始的な農家は、私の気ままな暮らしを許してくれる。三十年近くの間、よく耐えてくれたと有がたくおもっている。

(初出不詳/白州正子)