「この子らを世の光に」
くどいようだが、この子らが不幸なものとして世の片隅、山峡の谷間に日の目もみずに放置されてきたことを訴えるばかりではいけない。この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。( )この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。(出典「福祉の思想」糸賀一雄)
( )に入る回答は「この子らを世の光に」です。
保育士の試験なんて、どうでもいい事の詰め込みな気もするかもしれないが、学ぶものも多くある。誰だって光を含んでる。