mariannelife

higashiyoshino since 2018

金銭感覚

6歳のお金の物語。

前置きが長くなるが、簡単に言うと我が子は忍たま乱太郎のキリ丸のように、お金が欲しいという今を過ごしいる。

帰ったら、貯金箱の所に行って、テーブルに持ってきて枚数を数える。

その物語の中身を記せて良ければいいのだけど、、、本当に一日一日、
色んな話をしたので追いつかない。

今、自分の歴史の中でお金について想いを巡らせると、貧困によって相当な苦労を自分がしたことは無かった。退職して、国民年金や、住民税が払えない、、、じゃあバイトしよう。で何とか繋げていた。

私はお金と縁がある環境はあまり好きでないのだと思う。正社員で手取りが良くても、空しさを感じてしまう。こんなウザい人と仕事なんて我慢が出来ない。定時で帰れないなんて最低。仕事はやっぱ息が出来ない感じ。すぐ気うつりしてしまう。など、、、

好きではないから、私の嫌気から子どもにお金の学びを途絶えさせてしまうのか?とも想うとその辺の付き合い方も気を揉んでしまう。子ども自身の興味は、母親がそれが好きか、嫌いかの「質感」で子どもの道は決まってしまうのか?


そんな日々を過ごしてもなお、子どもはお金についての考えを毎日毎日どこかで繋げている。

小さい子にとってはお金は価値というより、モノであって、ブロックやパズルに似たアイテム。また、お金は閉ざされた教育の一つ。その理由はこれは持論なのだけど、衝動的で、考えが幼ければ、非行と隣合わせになってしまうアイテムになってしまうからではないか。金で色々なものが買えると理解すればたくさん欲しがるだろう。閉ざされた教育の中では、自分の力で生み出し「稼ぐ」というより、持っている人からもらう事が選択肢になる。しかし、そう簡単にお金をくれる人は早々いない。そんな時、「盗る」事が一番手っ取り早くなってしまう。それは「窃盗」という罪で大人でもいる。

幼児期にそこを教え理解が出来ればお金の教育もなんら問題ないのだろうと思う。その教えは日々家族のチームワークにもある。子どもの欲望が過熱したお金に対する執念さにも対応できるような。しかし、お金は暮らしの中でブロックとは違い、遊びではない。大人もコントロールが難しいシリアスなもの。そして人生のなかの流行りや、一過性のものではないので、腫れあがるように口で説明しても、すぐに解るものではない。暮らしの在り方。そういう地道な「生活」が金銭感覚を生む。

私も小学生の時に、フリマやろうよと言われて、仕方なく誘いにのって、当日雨でありますようにと何度も祈ったりした。当時の私の友だちはそういう商売っ気があった。私には出来ないと思いながら何十年も経った。今さら商売っ気の無さをどうにかしようなんて無理だと思うけど、今の子ども達と夫となら、それでも積極的にとはいかないけど(笑)学んでみようと思う。休みの日、Eテレのジャニーズの番組があって、トークしたり歌ってダンスしてのジャニーズらしい番組がたまたまテレビでついていた。


若がそれを、鋭すぎる目で凝視していた。

「ねえ、おかあさん。この人たちは、テレビの誰かに頼まれて、歌って踊りをしてそしてお金をもらっているんだよね?」(6歳)


と問いかけてきて、日々色々考えたりした事を繋いでいるんだなと思うと嬉しい。モノの見方がお金とリンクしている。。。そんな風に見てたなんて思うと笑ってしまった。
多様な稼ぎ方が今はある。

「ああ、良くわかってるね。そうやってお金をもらう人もいる。それが仕事。若もやってみたら?かっこいいとキャーキャーって集まってくる。かっこよくないと、みんな集まらないよ。かっこよくって踊れて歌が上手かったら出来るよ。だから若もやってみたらいいよ。」


「僕は無理や。面白いくなっちゃうし。」


若は三枚目の素質を自負しながら、


「僕はLAQのキメラが欲しいだけ。お金がたくさん欲しいわけじゃないんだ。キメラだけが欲しい。」


と目指すものを目指し、、、今はサンタさんを待つ。。。


サンタはどんな子に会いに来てくれると思う?と問いかけながら、祈りながら。

サンタさんと、神様を頼りに。