まにうけない。
地域の婦人会の仲間、コーラスの仲間、こどもをとても褒めてくれる。そして、私のことも褒めてくれる。
挨拶、受け答え、想いを伝える、
あんたはホンマにようこどもの事をしっかり見て育ててるわ、感心するで
教育いうか子育てよう考えて熱心でこどもも幸せやなあ
と、家は汚いのだけど、そう褒めてもらうとマジで嬉しい。
そしてこども自身も褒められた事をこどもにしっかり伝える。
こどももやっぱ自分がこの事で誰に褒められたって知ると嬉しそう。
夫も義母からしつけがなってないと私が言われていると、上記の近所の人の話もしながら
これほどこどもの気持ちを想像しながらこどもの話を聞こうとする人はめったに居ないとってくれた。
すると義母は
「そういうのは(評判)まにうけるものではない。」
確かに、こどもの気持ちに寄り添い過ぎるとは育ちによくない。が、褒める褒められるは社交辞令であるかして100 パーセントまにうけるものではない。という感性も理解できるけど、どこか心の厳しさを感じてまった。
どんな状況で、どんな表情でそういう言葉を交わしたかは私と仲間の関係であって、義母に分かる事ではないのだが、状況状況を一喜一憂しているだけでは、大事なことが積み重らない。
まにうけるな。というのは相手の立場もあって冷たさを感じるが、自分のゆるぎないものがお前にはあるのか?と静かに問いかけるものでもあるなと感じた。
性格の相違はまあやむを得ないよね。