mariannelife

higashiyoshino since 2018

人間関係

今勉強している事(社会福祉)からwikiで繋がったwikiのページが面白かった。

 

以下抜粋

人間関係は、大抵の人にとって、悩みのタネであり何らかの「問題」である[2]。現代人はしばしば、自分と他の人間との関係の調整に神経をすり減らしており[2]、各人それぞれ体験的に人間関係のめんどくささを知っている[3]。近年、人がかかえる悩みの内容についてのアンケート調査が行われることがしばしばあるが、「人間関係」はほとんどの場合その最上位に位置する。つまり一般論として言えば、人間関係は人にとって最大の悩みとも言える状態なのである。

人間関係の問題がいつから存在していたのか?これについては、恐らく人類社会の歴史と同じほどに長い歴史を持っていると考えられている。そして、人間関係の問題には、あまり進歩がない。例えば水が無いといったような問題ならば、井戸を掘る、貯水池を作るといったことで、ある世代において解決し、次の世代はあらためて直面することは少なくなる。ところが、人間関係という問題では、問題解決の積み重ねが効かず、古代の人々と現代人はほとんど類似した事態の中に生きている[2]という。昔から、人間関係には、憎しみねたみそねみ疑心暗鬼、へつらいなどが見られるのであり、そういった点で人間関係というのは古代から変化していないと言えるのである。人間関係とは、いわば「永遠の問題」なのである[4]。また、いつの時代にも人間は、人間関係については、同じような知恵しかもっていないともされる[2]。例えば、古代ギリシャ社会に生き、人間関係をシニカルに眺め、その愚かしさを風刺文学風に書いたテオフラストスの文章(『人さまざま』)が現在まで伝わっているが、そこに描かれている人間関係の観察・描写(有力者へのへつらい、お世辞 等々)は、そのまま現代における人間関係のカリカチュア風刺)として100%通用してしまう[5]。また、権力を持ちたがっている人間が政略結婚によってある種の人間関係を作ってしまう、などというのは、藤原道長の時代から現代にいたるまで連綿と続いている方法であり変化が無く、進歩が無い[4][6]

(以下はこちらから)

 

社会福祉の歴史を17世紀くらいまでさかのぼり学んで思ったんだが、老人、孤児、未亡人、障害者、罪を犯した人はいつの時代も存在している。その時代その時代に置かれた人間が生きることについて考え続ける為に、その知恵の答えの回路を絶とうとさらには発達出来ないように誰かさんなのか自分なのか分断しているかもしれないとも想った。もう遺伝子がもうそうさせてんの。その進歩しない知恵が進歩したとき、もう世はないかもね。なんかひとつになっちゃってさ。泡という個が消えて、全てが混ざった,なのにクリアで同じ液体になる感じ。

ああなんだか、こわいこわいな夜。