mariannelife

higashiyoshino since 2018

無駄

川に入って遊んだ。私は泳ぐ事が好きだ。でも川でクロールをしたいとは思わない。川では魚になってみたい。魚を追いかける事が楽しい。魚は私を仲間にいれてくれないんだけど笑、そういう遊びが好き。

遊んだ後身体が気持ちよく、なんとなく腕をブンブン回したら身体がバキバキなった。遊んでもなお使われてない身体の部分があるのか?とそのバキバキで感じた。

普段使っている筋肉や動きと、遊びの動きの筋肉と、ストレッチやヨガの筋肉。

身体は多様な動きがあるなとぼんやり想う。

私はストレッチやヨガや筋トレは興味が無いからか、腰痛に悩まされます。予防的に日頃からやればいいことなんですが、つまらな過ぎるでしょう。

このつまならなさが物事を論理的に捉えた理屈に合っている合理的な様と繋がりました。

そこから、こどもは身体的に無駄な動きが多いと友人が言っていた事を思い出す。

こどもの身体の柔らかさは無駄な動きの連続による柔軟な結晶のようでその無駄からできた結晶は私には美しく見える。

無駄とは役に立たず、効果や効用が無いこと、とあります。

ビジネスシーンや集団生活、こういう社会では合理的にかつ、生産性高く、無駄はなるだけ排除される。しかし私はそういう結晶が美しく想うので、無駄なものなんて実際にはあんまり無いと想います。やはり私のその感性が暇人なんだなと一戦で働く方へ私たちの限りある時間に足を止めてもらうのは悪いなあと気を遣います。

しかしいつかこの合理的な世界に遊びは役に立たず無駄だと言われ、経済が正道であるとする社会通念が加速し重要視されるようになるのなら、私は声を大にして(言い方を考えながら!笑)無駄な良さを世に訴えていきたい。経済活動や、育児、受験戦争に集約されている能力主義教育、選別教育。専念して高めていきたいものは常に付きまとうけど、それだけに専念できる環境や体制というのも皮肉な話特別良いわけでないと想う。私たちの生活は多様なものが抱合されいて、それが繋がって生きる力という学びが得られ、そのバランスこその人それぞれのセンスだと想う。

「仕事はぼちぼち、遊びは重要。」(MCサムちゃん)

MCサムちゃん 大学同期のホイクイーンのパートナー。 音楽屋さん。そばはアレルギーだけど、そばを打ちます。変態。 クールな音源はこちら facebookページ