mariannelife

higashiyoshino since 2018

お嬢と若

うちの長女お嬢は7歳

うちの若は長男5歳

お嬢は穏やかなので穏やかに接せられるが、若には「馬鹿野郎小僧!!」といってしまう。ひどい。お嬢にはこんなことなかったぞ。それでも若はそれが面白いのかへらへら笑って踊ってずっと馬鹿な事を呪文のように話している。そして私も大人げなく、その馬鹿騒ぎに乗せられてしまう。

お嬢を育てる時、お嬢は言葉にはならない気持ちをそっと温めていて、どう感じているか、なにが言いたいかあまり私には分かる事は少なかった。しかし色んな人に触れた事も有って、色んな人がお嬢の話をしてくれていた。あの時一緒に居てくれてたよ。あの時なにも言えず立ち止まってたよ。背中かいてって頼んでたよ。言葉が少なめのお嬢の情報をもらってそんな姿があるんだなあと、でも口で言えること、伝える事ってとっても大事だし、遊びはお話しで楽しくなることだから会話を大事にして生活してきた。

自分でやりたい遊びを決めたり、仲間と一緒に考える活動をしたり、どう教えたら分かってもらえるか、どう伝えたら運動会の行進を年中年少が一緒について来てくれるか、色んな子がたくさんいる中、自分の気持ち友だちの気持ちを考え合う、そんな控えめなお嬢は目まぐるしかったであろう。

今学校という場は決められた時間割、学び、遊びが整った環境で楽でならないのか、勉強が遊びが学校が楽しい。と少人数の学校でのんびりでも、幼稚園での目まぐるしさの下地がわずかに芽を出してきてるのかなとたまに想う。

若はとにかく無関心を装ったクールさがあって、自主保育中2歳にしてみそ汁の椀を要らないと投げつけたり、散歩には行かないといって動かなかったり、忍びの術でいつも居なくなる。公園遊びで母親同士で話に花を咲かせていていつの間にいなくなることが何度もあって、危ない目にも何度もあって、育てている花をむしったりして私もたくさんの人に怒られたりした。

それでも自主保育仲間はこの性格や若の言っている事にしっかり傾けてくれ、言葉は最低限でしか使わないエコな所はあるけど、ちゃんと意思を持っている。まだ関わりというより一匹オオカミな所もあって打算的な部分も少し見えるけど言いたいことはキチンと伝えてくれる。

奈良に来てからこども園に入学すると、連続した時間を友だちと過ごす。その連続させた友だちとの日々、これが若にとって刺激になったのか、意味不明だが色んなことを言葉で伝える。幼稚園の続きのようなことを家でする。毎日の友だちとのやりとりでなのかちょっと情緒的な面が出てきたと思ったら馬鹿みたいに陽気で、昔の若を知ってる人が今の若をみたらその成長をウケてくれると想う。

若は言葉の使い方がちょっと困りもので、お嬢を言い負かす。先生にも幼稚園でどうですか?と相談して、その言い方が自分がされたらどんな気持ちになるか?を先生も問いかけてくれている。「でもこんな言い方する人もいるぜ。。。?」と愚痴のようなものをたまにこぼす。家でふんふんと聞く。そんな話も一瞬で消え意味不明の呪文を唱える。なんだそれ!と笑う。

若が馬鹿な事をしてると一緒になってやってしまう。なんだかこっちが合わせて、付き合っているのだろうかとも想う所もあったが、あのよくわからないフィーリングがたぶん私は大好きで合わせているというより、同じ気持ちの底からくだらなさや馬鹿さを楽しんでしまう私がいる。その姿はもはや母親ではない。そして冷静なお嬢と夫に冷たい目で見られ、いやいや良いだろうとお嬢と夫も巻き込んで結局みんなくだらなくて馬鹿げていて単純でなんだかスッキリして終わる滑稽な日々を面白がれる余裕が今あるんだろう。

とにかくうちの5歳男児は小僧で馬鹿で時に道徳的。でも馬鹿で面白い。どう成長するだろう。もっと馬鹿であっていいと思う。こいつにはそこを伸ばしたい。ここが若のこどもらしさなのかもしれない。今が一番爆発的に輝かしくあって欲しい。