コロナとマルチについて
裏がすぐにこの小さな畑なので、晴れた日は何も言わずとも子どもが度々見にいって水をあげてくれる。
「あーよかった。大きくなって良かった。」(5歳)
マルチがある方はどう?
「おっきくなってる、芽が出てる。」
なんである方は大きくなっているんだろうね。
「・・・」
被せてるとどうかな?
「あーあったかいんでしょ?布団みたいだね。」
これが布団だなんて、なんだか家庭的だなと眺める。
マルチがある方は芽が良く育っているのがボコボコと何株かあるので、まさに家庭のように見えた。
そしてこの黒いもので覆っているのが、コロナに見えた。
コロナという闇に私たちは今覆われている。
それぞれの家庭家庭が、布団に覆われているように守られ、暖かい時間を過ごせますように。
家庭という社会の最小集団が暖かく満たされ、それが連鎖するような環境を整えることが出来るのであれば、人間社会はきっとハッピーだと思う。個人だけが良くてもやっぱり連鎖循環して生態系は巡らせてるのが営みなんだ。
しかし芽が出てないから育ちが悪いってわけでも無く、もしかしたら見えない地下で実をすごく結んでいるかもしれないし、味に違いがあるかもしれない。実が臭みも無く甘いものが好きな人もいれば、減農で小さくて本来の臭みがある実がオッケー!という人もいる。
何がゴールっていうのはそれぞれ違うんだろう。しかしそれぞれ過ぎると他者ってどうでも良くなる私もいる。芯にある個人主義な自分が表出する。まあそこで自分の信念に戻り問いかければいいっていう最近の思考。
私の目的地はいずこに。