mariannelife

higashiyoshino since 2018

遊びと育ち

小3のお嬢さんと年長の若が同じ時間に帰ってくる事が今週2回ある。

2人が帰宅すると気が抜けて昼寝をしてしまう母。

YouTubeやテレビやおやつや本やレゴや散らかり放題。昼寝なのにゆうに一時間してしまう母。もっとしたい。夕方目覚めて、

オイ外で遊ぼうよ!

いいよ!というので、何して遊ぶ?

「お母さんが好きなので良いよ」(6歳)

エエー、そこお任せなんかい!

と思ったら、

「サッカーしたい!」(8歳)とお嬢さんが遊びを提案しキックオフ!

とても気持ちいい!!目の前が校庭なのでサイコー。雪もあってそこにボールが行くとツルツルサッカーに。

夫も帰宅して、混ざってあー楽しいなぁ。

最後にダッシュで競う。と、思ったらまけてしまい機嫌を損ねた若が、

「やーめた。飽きたし。」(6歳)

と言って家に帰るのもしぶりながら1人ですねていた。

こういう、自分に都合が悪いことに対しての対処する免疫がないのかなと思った。もしくは止める事しか方法を知らないのかもしれない。悔しい事を感ずるのは良いことだとおもうけど、そういう遊びの続け方が育ってないんだなぁと思った。

子どもの遊びをみていて、何かが気に入らなく、1人が止めると、芋づるのように遊びをやめていく集団はもったいないなぁと思いながら、気に入らない事を仲間に話したり、解決したりする集団になればなぁと思うことがあります。

こういう遊びのための力って生きていくのに応用されるので必要だと思う。

それが、遊び心が盛んで身体の使い方も柔軟な幼児期に培っていけると、遊びの幅も質よいし、後々かなりよいものになると、私は勝手に思っている。

痛みや傷に対して、抱き締めたり、絆創膏を貼り付けるだけの癒しでは痛みの解決にはならない。もちろんそういう癒しは時として必要だけど、それでは親や先生が見ていない、居ないシーンも増えてくる中、自分でその傷を受け止め、対処出来るような力を付けてもらいたい。お嬢さんの時もそこを育てたく仲間と共に育った。若の幼児期の見所はのこり2ヶ月。

今日待ちに待った、若のオーダーメイドのランドセルが届きました。レインボーやらエンブレムから興奮しています。

そして一つの区切りが迫ります。