mariannelife

higashiyoshino since 2018

優しくはもう出来ない。

夕食を楽しんでいた。相変わらずおちゃられながら食べていた。

しかし入学して一週間も経たない今、言葉ぶりが小学生の語りで、あれやこれや話をしてくれた。端々に「そんなわけないやろ、できるわけないやろ、自分で考えろ」と、言葉の冷たさを感じていた。すると、中指を立ててきた。

私はそれはどこで覚えてきたの?

と言うと、あーだこーだ色んな様子を語ってきた。しかし、それはやってはいけないこと。そしてとても失礼で嫌な気持ちになる合図なのでしてはダメ。

というと、ここからはほんの一部の話だが、

「小学生って、家でも怒られるし、優しくする事に疲れるからもうしたくはないんだ。」

「(人の)いけないなと思う事を注意できない時もある。」

「僕はお母さんが身体が弱い時があって、やさしくして、あれもしたり、これもしたり。やりたくない事も頑張って幼稚園の頃は優しくすることをずっとして来た。一年は長いのに三年もしてきた。」

と涙を浮かべながら語る。

私は、いつも優しくすることは疲れてしまうけど、嫌な時は言ったらいいよ。と、口では語りながらも、かなり戸惑い、私は涙が出てしまった。

この子は優しいなぁ、とか、よくやってくれるなぁと思っていたことは本当は義務感を持っていた事だったのか?我慢してやらされている事だったのか?と思うと虚しさで溢れた。え?本当なの?と言う気持ち。

「もう、お母さんの言う事は聞くのは疲れるし嫌だ。」

「小学生は聞けない時もある。」

と、もしかして母親に対して嫌悪感をもってしまってるのか?と、お父さんに任せたらいいのかなとおもって話を夫とした。

若のなかにも、幼稚園時代の優しいあのお兄さん、このお兄さん、といた。その子らと小学生で再会した時に、あの時の幼稚園時代とは違うお兄さんの言葉ぶりや、態度の変化、大きくなると優しくはなれない事もある、仲間のそれぞれの成長をいち早く感じ取って、これからはそこまでは優しくは出来ない、と感じているのかも。もしくは、こういう態度こそ小学生と思ってるのか?。

優しくすることに疲れる。「ずっとずっと優しくすることは出来ないんだ。」はなんとも言えない虚しさで私は溢れたが、確かに人は変わり続けていくし、若の中での絶対的だった優しい人の変化という虚しさを感じたらそう受け止めたのも強いのかもしれないと思わされた。彼の中の涙はその優しくできないことより、虚しさだったのかもしれないなとも感じる。

さいごに、 お母さんも優しくすることはできない時もあるよ。でも、若の中には優しい気持ちはあるのだから、使いたい時に使ってね、と言ったあと、

私から離れたり、テレビを見て笑ったりして、また私の所に来て、私の頭をポンポンしたりと、早く変わりたいぼく、とまだ優しく出来るぼく、がみえて、まだ優しさを感じて私はそれで十分だと思った。