mariannelife

higashiyoshino since 2018

遊びは学び?

今の子どもたちは遊びに対して気軽さがない。

過疎の村は親同士のラインによって約束が成立し、親の送迎で遊び場に行く。

田舎も都会も子どもの居場所作りが盛んだ。

大人が子どものための場所を用意するという時点でどこか過保護な大人の下心が見え隠れする。子どもたちが遊ぶ事によって何か得て欲しい。遊びから学びへ繋げる。楽しみから集中力を産み出す。自然との触れ合い、情操教育、自己肯定感をあげる。などなど、子どもに期待する事が多過ぎではないだろうか。

もちろん、そういう絵面に私は芯の部分は理解出来るし、子どもに望むものもある。

しかし大人の想う理想的な「遊び」は子どもにとって遊びなのだろうか?

この辺に今ちらほら耳にする教育虐待的な気配を感じてしまう。

大人は子どもに意味ある遊びを望みすぎてはないだろうか。

現代は遊びが絶滅の危機。

遊びの出発点は今の大人には感じることの出来ない、どーでもよいことから始まっていたりする。それでいて本来は気楽で気軽。

私たちはいつから自由な遊びを奪っていったのだろう。