mariannelife

higashiyoshino since 2018

タイタニック2

金曜ロードショーで前編後編に分けて2週連続でタイタニックがやっていた。

その前にうちの子たちはタイタニックの当時の事故を振り返るみたいな番組で色々ああだこうだ話していた。そしてもう二度とフェリーは乗りたくないと云った。

そんなこんなで若は沈没したタイタニックの映画が気になるようだったが、金曜夜、疲れてソファーで寝てしまった。私は中学ぶりにタイタニックを見た。

嫌な奴がいるし、良い奴もいた。こんな時にまで良い奴でいられるのがよく分からない。私は映画を見ながら、私だったらどうしているだろうと見てしまっていて恐怖で心がすり減りそうだったが、これは作り話だと言うことを思い出した。

最近、いざと言う時にどんな対応が取れるかという事を思い知らされる事件があった。

私はそんな時、その人のそのままの品性が表出すると感じた。しかしそれは第三者から見ての言い分かもしれない。

でも今日タイタニックを久しぶりに見て、沈没する船から助かりたい為に嘘をつく資産家、混んだボートに乗るなんてと文句を言う子どもを資産家との結婚を企てる母親、バラバラになる家族、甲板で演奏をし続ける音楽家たち、祈りを捧げる子羊たち、ベッドで互いの手を握りしめる老人、子どもとお話をしながら抱きしめ合う親子、混乱する所をピストルで撃ち人を殺め、自死する警察、ボートに余裕があるから生存者はいないかもどり確認する警察、自分の役目に責任を取ろうとする船長と設計者、

人間の心模様は弱さと向かい合わせになった時、恐ろしくむき出しになる。

生きていくためには、向かい合わせにしない時もある。弱さを表出出来ない。表出させない。それは私は弱い人間ではないから。認める事はできない。そうやって、言葉や行動をもって弱さを覆い隠す。私は弱くわない、悪くはない、クズではない、と。

やはり自分の事は認めてあげた方がいい。みんながみんな、自分(人間とは)ある部分でこんな弱いと言うことを認められたなら、高圧的でなく、謙虚で、弱いもの同士を思い合えて、世界は案外ハッピーなのかもしれない。

強くて弱い人間たち。これもまた、振り子のように振れていく。