mariannelife

higashiyoshino since 2018

解離

私からみる私 と

他者からみる私

に隔たりがある話を仲間と車を運転しながら聞いたりしたりした。

たとえば、私の

考えを巡らしたりすることが、好き。でもそれは行動の敵になってる。だから、結局は何もしてない。怠惰。 という自分イメージ

そうはいうけど、なんやかんや思いついてやってると思う。言われたことをやるのではなく、自発的な試みと斬新なアイデア。作品も面白かった。

また、先日のカウンセリングで、カウンセラーから私が思い込んでいた私の枠の外言葉を投げかけられた時、いや、それは違うという場合もあるけど、専門の先生によるモノなんだから、その言葉を受け取ってみたらいい。

「自分の人生。他人の助けになりたいと思う気持ちは素晴らしいことだ。しかし、自分を愛せて、他人も愛せる。甘えるという事は、怠惰とは違うのです。自分をいたわっていい。苦しくてもまあいいか、と自分の心をないがしろにしてきた、そこを愛せる部分、やりきるしかない、そういう葛藤が起こる時、身体や心の声をよく聞いて欲しい。」

おそらく他者に丸裸にされるのは嫌なんだろう。それでいて、頑なな面があって人を信じない。

その時その時引っかかる言葉に、脳ではなく身体が反応するのは、理性でなく、本能が私を守ろうとしている。

だから、仲間と話をした時その他者からのイメージに、別の自分のイメージに気付かされる。その話をして、自分と他者とのわたしという存在の解離に引っかかる。

私でいうわたしの怠惰は思い込みなのかもしれない。そして、怠惰でいたいから、思考するのかもしれない。本心は行動をしたくない、その行動したくない私を思考が裏打ちしている。としたら、やりたくない事はやらなくていい。

子どもの夏の宿題で、絵を描く、文を書くという時に、自分がどう感じたか、どんな気持ちになったか、を大事にすれば、あなたらしい文、そして絵になる。だから、自分が感じている事を大事にしよう。と、子どもに放った言葉が、上からか後ろからか、自分にも放たれているように感じた。自分の中に答はある。それを生活の為に、揉み消したり、ないがしろにしたり、握りつぶしてきたなら、心の声を聞いてあげよう。

やすむ、ねる、しない、する。深呼吸をして。

来週は数秘術。私は、なんだかスピリチュアルで占いはうさんくさい。気がどうとか、先祖の何かをも、好むひとの否定は出来ないが、私は側面で聞いている。しかし、夫が古くからの統計学の要素はある。とやってみたらと言ったので、思い込まず、素直に聞いてみたい。

「意地を張るな。」