mariannelife

higashiyoshino since 2018

価値観の違いを受け止める。

歯車がよく回っている、波に乗っている、

という時にいる近くの仲間も良いと思うが、

歯車の回りが至って「普通」だったり、波も無い時に不満なく淡々とこなせる仲間は案外貴重なのかもしれない。

私たちは周りに影響されて生きているので、右肩上がりな勢いある仲間が周りに多くいれば成し遂げられるモノは数多くあり、数多くの経験を得られ幸福度も高いかもしれない。

やる気を起こすとか、要領よくするなど、色んな心理的に鼓舞させる書物や記事があるが、

そんなパフォーマンスが常によい人なんて一緒にいて疲れるなと、至って凡人の内的な人間は思うわけです。

パフォーマンスがよい、バイタリティ溢れる、など、それが良しとされるもの、それも価値観。例えば掃除が上手ならそれは素晴らしい事だと周りは棚に上げて高貴なお方と崇拝してゆく。

そこに社会という宗教的概念が生まれているようにも感じる。ここでいう宗教とは、下品な人間の思想体系とも言いたい。

ただまあ、人が高貴だという人でも、普通の人でも、芸能人でも、政治家でも、親でも、人にやっちゃいけないこと(やったら後悔する)や、言っちゃいけないこと(言ったらかなり失礼だった)って多く在る。

メンタリストの炎上のように。

しかし、あーだこーだ人に対していう人、潰しにかかる鋭利な発言こそ、ご自身はいかがか、問うてもらいたいものだ。人間に拝まれる高貴なお方は特に。

本当に高貴なものは360度の角度から見た時に全てが美しいもので、さらに私たちは360度周り巡らせてそれを見ることは絶対に不可能なんだと思う。