mariannelife

higashiyoshino since 2018

向いてない

向いてないと決めるのは自分で、「わたしはこうだ」「こういう人間なの」と分かっているようだけど、自身で縛っているようなものでもある。(しかし人には分野があるとは想う。)

私は片づけるのが苦手だと思っているが、片づけるのが嫌、生活に困らないくらいなら汚くてもいいのに、片づけたいと付きまとう。自分が困っていなくても、夫のシャツがシワシワだ。こどもの毎日のタオルが行方不明だ。パンツがない。とか家族が困っていても何とか頑張ってくれる、「僕のパンツどこいった」「私の貸してあげる」おお有り難い、それは自主性を生むじゃんとか言うかもしれないが、母親が家庭に子どもに目を向けてない、私は非常に勝手だなと想ってちぐはぐしてしまった。それはただただ自分だけ強い甘えがあるなあと想う。まあそのバランスの答えはない。考えることが出来ればよい。毎日じゃなくてもある程度安定感あるお母さん、人間で居たい。

3月、義父母が誕生会に来てくれた。その時から一か月たった今、おふたりにはお見せできない家になった。なぜお見せ出来ないかというと、おそらく私の役割として否定されるその先の家族、親族。結局汚くて恥ずかしいのはおふたりになってしまう。それでは関係が保たれない。では私はおふたりのために片づけるのか?でも綺麗だったらフツーに家族も喜ぶ。敢えてこの場所を選んだココを楽しむならソコを利用しろ。

恐らく半月に一度義父母が来れば家自体の平穏は保たれる。それを私は選ぶか?向いていない片づけは向いてないと想う苦手と想うことを止めることからはじまる。そして新しい私と元号を迎えよう。片づけ苦手なのよぉは平成置いていく。さようなら。