mariannelife

higashiyoshino since 2018

バッタ

家の目の前の原っぱは、草が茂っている。足を踏み入れると、虫が飛び出す。

虫という存在が町で育ち恐怖で稀有なものであった私にとって、田舎や、今のような状況が驚きでならない。

若と虫探しをし、簡単に捕まえられ、掌で眺めると、バッタが尻を動かしていた。何かを訴えているのだろうかと眺めると、うんこをした。ああ、そういうことなのね!と感動してしまった。

バターの入れ物に入れて草を入れて一日経つと、草が少なくなっていてうんこの黒い粒が散らばっていてバッタの生活を感じた。それを若としみじみ感じる。

前田んぼでバッタとイナゴの違いは分からないが、いずれも田んぼの稲にとって害を及ぼす生き物でそれを捕獲し、収穫祭で食べた。醤油と砂糖、餅につけて食べる甘い醤油の味にしてぐつぐつ煮るのよ。と、若に伝える。

「お母さん、バッタって命ある?」

痛ましい事件が続いていた。車にひかれる事など命について幼稚園で考えていたことがつながっているんだなあと感じる。

バッタも命がある、若も命がある、バッタは死んで、若の身体になって生きていける。バッタも豚も鶏もそうなんだよ。だからごはんはとても大事で捨てたりしては悲しいものなんだのようなことを話す。

ただ最近は本当に多様な食べ物があり命のありがたみを感じて生きるのは難しいなと思うと同時に、そういう事に気づく感性も鈍くなってしまっているのかなとも想う。

そういって一人袋めんのラーメンを昼食で食べます。

私はバッタの様子のように、知らなかったことがまだまだあって、町にいた時の最先端な楽しみや美しさよりも、見えなかった気づかなかった生活の営みに想いを巡らせ楽しんでいるんだなとバッタのうんこを見て、若のひとことを聞いて、想った。