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【保育士試験】家庭学校 自然は人間を差別しない。

家庭学校とは、留岡幸助(864年4月9日(元治元年3月4日) - 1934年(昭和9年)2月5日)によって現・児童自立支援施設で非行少年などを親に代わり教師たちによって生きる喜びを取り戻し、社会に巣立つための育ちの場所として創立した。

ここまでは参考書でも良く書いてある。

その中身を知れる記事があったので見てみると、参考書にはない人柄の厚みを感じた。

 

●幼少期、喧嘩で武士と町人の階級の違いで「武士に歯向かうのは何事か」と自分が不良扱いを受けてしまう。

●家庭で仕打ちを受けながら、家を飛び出し、最終的にたどりついた先が平民思想と自治自立の気品あふれる学校。幼少期の社会の不平な仕組みから感じたものを勉学に注ぐ。そこで社会の暗黒面に目を向ける。「人間社会には二大暗黒がある。一つが遊郭で一つが監獄だ。」そこに光を照らすべきだと監獄改良こそ自らの天職だと自覚する。

●全国からの凶悪な監獄者の生育歴を調べたところ、14,5歳で非行している割合が8割であったことが判明する。犯罪者の更生を本気で考えるなら、少年の時期に手を差し伸べる必要があると、感化院₍家庭学校₎を作ろうと決意する。

●人は刑罰によって善良になるのではない。君子になるか盗賊になるかを決めるのは家庭における陶治₍人間の性質が教育によって変えられる可能性₎による。幸助の生涯一貫した考えであった。

●教師と生徒の関係を庭師と植物の関係に例え、庭師は植物の性質をよくしらなければ、育てられないといった。まさに家庭にして学校、学校にして家庭を目指したが、世間の目は冷たかった。親のいない孤児となれば、世間の同情も受けやすいが非行少年ともなるとそうはいかなかった。₍柵や鉄格子で閉鎖させないスタイルが今でもある₎そんな中、1899年東京巣鴨のに家庭学校を創立し生徒一人から出発した。15年が経ち、改善率7割で画期的であった。そんななか、北海道での生活₍大学卒業後₎が印象的で、自然こそが人を育ててくれると信じていた。

●自然は人間を差別しない。非行少年さえも正直に労働すれば、葱や芋は良く育つ。葱や芋は彼らを非行少年とみなしていないから。「教育は自然と人間の共同作業である。」

 

くわしくは、留岡幸助を見てみてください。長かった。

 

最後がすき。

最後を伝えたいあまりに長い前置きにお許しくださいね。これが最後でもないんで詳しくはリンク先を見てみてください。

 

自然は人間を差別しない。非行少年さえも正直に労働すれば、葱や芋は良く育つ。葱や芋は彼らを非行少年とみなしていないから。

彼らにも作物との関係が出来、気づくと性質をよく知るようになり、庭師になっている。そこで巡る環が、さぞかし気持ちのいい環であろう、心持って行かれた。