mariannelife

higashiyoshino since 2018

コロナの社会縮図

2/28夕方

私「いきなりだけど、先生から聞いた?春休みまで学校、幼稚園は無しです。」

お嬢「コロナ、バカ!」

若「、、、コロナ、、、バカ、、、(お嬢の後、つぶやくようにのちに「イエーイ」「あした幼稚園ある?ない?」)」

私「ヒャッホーーーー。」

夫「全部仕事がキャンセルに、、、。」

 

コロナのバカと叫ぶ市長もいれば、

コロナで苦しんでいる人に対して失礼な事を言っている私もいる。

 

若にとっては特大のプレゼントだと思うけど、

大人も今回を色々受け止める時間なのかなと思う。

 

都会はクラスターだとか、感染に気を付けるだけでなく、子どもの居場所に困る人もいる。

村に母子で遊びにきているのか、知らない親子がいた。

今一度、村の良さを感じて過ごしてみて欲しいな。

そしてこっちはこっちなりの良さがあるから、それを改めて感じて、戻ってきて欲しいな~~~とまでは難しいかも知れないけど、村外に出ていったひとが村の良さを実感しながら再発見してみるチャンスなのかなとも思ってる。

するとなるとやっぱ子どもの事を考えてくれる村民を増やしていかなくてはと感じています。

教育教育いってしまうけど、私は教育者でもなんてもないただのうざったい能無し教育ママですのよ。

「教育の最大の秘訣は、教育しないことにある」(エレン・ケイ)

とあることがスゲーなと思ってる。

私は教育っていうか、、、子どもの事・その社会をどう考えてるかって所が私の「教育」って言葉の概念の一部だと思っている。知識を与え勉強や手法を教え込もうとか、個人の能力や、道徳的な学びとか、そういう事も教育って言うんだろうと思うけども。私は自分の目で子どもを見る力、自分で問題を感じ取り、考え、働きかけることのできる力を自分の中に養って暮らしたい。それがソレ(教育)みたいな感じ。あんま教育って言葉好きじゃないなぁ。食べたり、寝たり、遊んだり、関係を学んだりの中に生まれる原始的な力、生きていく力の基がソレっていう感覚。

 

良い暮らしをしたい、一億総活躍社会の実現、家庭を身軽にするだけの託児では、気晴らしになることでかえって矛盾から目をふさぐ。

その立ち止まるコロナではなかろうか。

働く事が好きな方もいれば、働かなくては生活に困る人もいる、預けたくとも預けられず日本、死ねという人もたくさんいる、大打撃を受けていると思う。これが現代の“教育”のひずんだ一つの形なんだろう。