mariannelife

higashiyoshino since 2018

自然

野生的な生活をする民族の暮らしをみて、

「あの人たち自然で暮らしてるん?」(6歳)

と興味をそそるようで、竹などで家を組んだらする動画を見た時ヒー!と興奮していた。私は自然で暮らしてるん?という問いかけがなんとも言えず好きだ。

話しは変わるが、戦いのアニメなど、見ようとすると、若は見られない事が多い。今流行りの鬼滅の刃は僕は見ないと腹をくくっている。理由は怖いから。アニメーション独特の生々しさなのか。さらに展開するシーンシーンで予感するモノが刺激的な様子。鬼滅とは別の冒険の戦いモノを見ようと、大丈夫よ!一緒に見よう!と一緒に見ていて展開が不利になったり、やられそうになると耳を塞いでうずくまってしまう所がある。今日はいつもとその様子が違ったので終わってからこんなに耐えさせてまで新たな世界を見せる必要あったのかなと思ってしまった。ごめんね、というと

「僕は嫌だったんだ。」

どこが嫌だったの?

と聞くと

「あとで言う。」

と、いい時に聞けたらなと思っていた。

風呂で、その冒険のアニメの話をしだしたので、今なら聞けるなと、怖かったの?聞くと

「僕は戦いは嫌じゃないんだけど、剣とか、斧とかを使うのは嫌なんだ。」

武器が嫌なの?

「自然で手とかで戦うのはいいと思うんだけど。」

さらに、私が歴史の読み物のマンガで、縄文時代を読んでいるとき、

「お母さんはこの本を見てどう思う?悲しいところとかあった?」

と聞いて来て、稲作が始まり蓄えや土葬屈葬らへんのシーンを一緒にみていた。

せっかく取れた食べ物を取り合って人を殺す所はいやだなと思う。戦いではなくて口で言えたらいいよね。それが出来ないから戦いになってしまうんだけど、、口は難しいよね。

というと、

死んじゃう事の話をしながら、

「自然に死ぬのはいいけど、戦いをして死ぬのは嫌なんだ僕は。」

「自然」の概念の広さが面白い。

私は縄文時代大正デモクラシーあたりが好き。縄文時代から弥生時代で移るあたりで貧富の差が始まるのがなんだか切ない。貧富はだいぶ前からある。私たちの中の時系列で見ると今は貧しいけど、そこまで金銭的に貧しいわけでない。でもより良い生活を私たちは望む。目指す所にキリがない。リフォームしたキッチンでもご飯を作りたくない気持ちは生まれる。情けない。と、友人に嘆くとでも掃除も家事も、1人の力では保たれない。と言うようなことを言ってくれた。出したら片付けるはみんなでしたら良いですよね。ナマケモノは一人が好きだけど一人では生きられない、矛盾した生物だ。