思い違い
支えたい、助けたい。
その言葉や仕草に、やってあげた感の上下の関係を感じる人が居るかもしれない。
ボランティアであれど、障害があれど、高齢で自由に動かない身体であれど、初めの一歩を踏み出した若い共同社会であれど、
対、私と対等であると想っている。
もし支えたい、助けたいを言い換えるなら、
「一緒に行こうよ」
という言葉なのかもしれない。
私にとって人間関係こそ人間が育つ道すじで、
私は明日の社会のための強靭な思想が欲しい。
サークル・サロン・支援の共同社会を、ひとつひとつ感じて考えて話し合って作り上げていきたい。いい集団を本気で作っていきたい、狂人な暇人なのだ。