mariannelife

higashiyoshino since 2018

地方創生

以前サミットで聞いたことを書き記して加筆していきます。

地方創生と道の駅を作る所があるけれど、都心から来る人が増え「遊び場を作って欲しい」という要望をよく耳にする。そこに自治体は目を向けられないのだろうか。子どもは少ないけれど、存在する。そういう子どもの居場所を作る事こそ、地方創生でないか。(木下勇教授)

小学生と中学生の走る力といった体力や運動能力が昨年度より低下したことがスポーツ庁の調査で分かりました。背景には運動時間の減少と、スマートフォンなどを見る時間が長くなっていることなどがあるとみられています。【12月23日のニュース】

現代の子どもの外遊びの少なさや、体力低下を招く根源は一体なんなのでしょうか。

農村部、山間部はこどもに親の送迎が必要になり、親しい親同士のラインで連絡をしあう。これは極めて閉鎖的だ。遊ぶことに対して気軽さが無い。(木下勇教授)

当たり前だった「遊び」という行いがもう絶滅しているのだ。遊びという文化は消えてなくなり、私たちはどんな事で育っていくのでしょう。遊びこそ学びの土台です。

こどもの参画から行政を変えていこうという事でしたが、この村にそんな思いを持つ大人は何人いるんでしょうか。何が出来るだろう。私はそこまで強くない。。。

一方で遊べるんだとしたらどこまで私は子どもを信じられるだろう。自分が子どもの頃と何かが違うと思ってしまうのだけど、近所に公園があって、子どもたちが集っていて、自分で何時に帰ってくるっていう約束が守れることって今この山間部にも都心部にもどこにもないのかもしれない。子どもを信用しきれない大人に子どもは何を信じるんでしょう。

ダークサイドに落ちそうな気持の展開をみせてしまいましたが、幼児期にめっちゃ遊べるってのがやっぱいい。固い園でもそれはそれでまたいいとも思う。期待を裏切るといっては失礼だけれど、そういう場所も子どもと私たちにとって必要な何かを持っているのだろう。まあ口で外で遊べ遊べと言ってるけど、何が遊びかっていうのが人によって違うときもある。親が思う理想的な「遊び」は「遊び」子どもにとって遊びでもなにものでも無かったりする。こどもが何を感じているのか見ながらそこを見極めたい。遊びだとか勉強だとか仕事だとか家事だとかあらゆるもんが生活にあるけど大人がどれだけ人生を謳歌して喜怒哀楽があって楽しんでるかがとにかく重要。と私はそっと想う。