mariannelife

higashiyoshino since 2018

大人と子ども

ある方のお話を聞いていて、上を向いた時子どもの様にきらりんとした瞳と、絶えず成長したいと思っている姿を見て、こういう大人もいるっていう事を知れて、嬉しかった。見習いたいって思う人が居ることってやっぱ素敵。

子どもを育てていると、子どもの成長を見えないように促すような存在でありながら、自分はどうなのかと思う私もいて、まだまだじゃねえかと、なのにそんな事子どもに、願ったり、叱ったり、問いかけたり。

2006年に卒業制作で「自己を形成する衣服」を発表したのがまだ芯の中に入っている。

世の中は選択で、自分で意識的に、この服がすきだとか、この生活観がすきだとか、どこに住むとか、どんな家に住むとか、どんな暮らしをしたいとか、要素を取り入れるけど、形成した要素は無意識となってその要素も境目も見えなくなり大きな私という絵になる。それがジグソーパズルに似ている。

大人はたくさんの要素を纏って大きくなっていっている。大きさが成長なのかは分からない。ただその多くのピースで大きくなった絵に見惚れたり、飾ったり、額に入れたり、出来たものを大事にする。大人は出来上がった作品に価値を置いて壊すことをきらう。その一方で子どもは完成したと思いきやすぐ壊す。それは価値が分からないから出来る、というより、次のものを作りたいから壊す。取り入れたり、あてはめたり、また壊したりと「遊ぶ」という行為がなんとも成長と似ている。

自分の価値を壊したりというのは難しい事かもしれないのだけど、振り返ったり、時に壊してみたり、ふたたび積み上げたり、縫い合わせたり、全然壊れないピースを良く考えて、これが信念っていうピースだと触れてみたり。

あのきらりんな瞳で子どもを見習って「遊ぶ」という事で成長しようという気持ちを持つことが出来たらいいなと思った。

ジグソーパズルの面白さは、壊すこと再び構築することで創造力や構成力を培って自分に触れる楽しさがあるのだろう。