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保育士の勉強をしていてオー!!と思った人たちについて。

倉橋惣三:幼児の自発性を尊重した保育理論「生活を、生活で、生活へ」大人本位の教育を批判し、自由遊びを実践する中で充実した子どもの生活の展開を目指す「誘導保育」を提唱した、東京女子高等師範学校付属幼稚園(現・御茶ノ水女子付属幼稚園)の主事。

ロック:英)経験論の哲学者で『教育に関する若干の見解』:子どもの心は白紙のものであるため、外からの力によっていかようにも形成されるという白紙説を提唱。

ルソー:仏)社会思想家『エミール』:万物を作るものの手を離れる時は全て良いものであるが、人間の手にうつると全てが悪くなる。あれこれ大人が手を出すものでないという消極教育(大人が子どもの将来を先取りして強制的な教え込み)を否定。「知識を与える前に、その道具である諸器官を完成させよ。」考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てなさいとした。

ペスタロッチ:スイス)教育実践家『隠者の夕暮れ』:「人間、玉座に坐っている人も、あばら家に住んでいる人も、同じであるといわれるときの人間、つまり人間の本質、それはいったい何であろうか」、そして『白鳥の歌』のなかの「生活が陶冶する」つまり、教育は単なる知識修得だけではなく、その人の人格形成にも大きな影響を与える。しかし、その教育も学校で学ぶことだけでなく、日常生活における全てのことが、その人の性格や考え方に大きな影響を及ぼすことを考えると、平凡な生活も決して無意味ではないことが理解できる。

デューイ:米)哲学者『学校と社会』:木工、金工、編み物、料理など社会的生活体験を反映させた教育実践が行われた実践報告。教育を絶えざる経験の再構成であると捉えており、子どもの学習経験が社会生活と連続性をもち、民主主義の精神を獲得できるようなカリキュラムを組織。①教科書中心の教育→生活経験へ ②記憶中心の教育→問題解決能力重視へ ③教師中心→学習者中心へ(学習者の心理的側面が重要視) ④抑圧状態からの開放 教師が絶対的権威者(学習者の人権・発言・表現活動などがおさえ込まれた) →こうした抑圧からの学習者の解放(自由な自己表現を保障)

キルパトリック:米)教育学者。学習とは主体的に考えて行動することで成り立つ生活経験論を主張。『プロジェクトメソット』:学校農園で穀物を生産する農業プロジェクトや、学校で生徒が新聞を発行する新聞プロジェクトなどを発展させたもので、彼はプロジェクトを「生徒が計画し現実の生活において達成される目的をもった活動」と定義している。つまり子供たちに目的設定、計画、遂行、評価の活動を行わせ、生産や生活の向上を目ざす、新しい教育を指向した。

パーカースト:米)ドルトンプラン:一斉授業でなく、個人別の学習指導により、児童・生徒の個性や能力に応じた学習計画が作成され、児童・生徒は各自で自学・自習をするのが基本的な学習スタイル。単級小学校における授業上の困難を克服するために,各教室を「実験室」とし,教師を「助言者」として配置し,児童の自由な自学を保証しようとした。日本では,成城小学校の沢柳政太郎らにより,1923(T12)年頃から実践が試みられたほか、いくつかの師範学校附属小学校などで実践されている。

オーウェンスコットランド)実業家「性格形成学院」を設立。紡績工場を経営し、子ど1もや若者の教育を行った。1歳から6歳のこどもを預かる「幼児学校」を置く。世界で最初の保育所と言われている。人間に必要な「性格(考え方、感情、習慣)」を作ることを教育の課題とし、人間の性格は生まれながらの素質と、環境による後天的な影響が結びついて形成されると考えた。

ルーズベルト:米)『児童福祉白亜会議(ホワイトハウス会議)』:「家庭は文明の最高の創造物である。ゆえに緊急やむを得ない事情のない限り児童を家庭会切り離してはならない」家庭重視の施策へと進み、2度の世界大戦を経て、家庭の問題が表面化することで「施設養護」も実施されてきたが、ボウルビィ:英)児童精神科医が施設に入所している児童には無力感や孤独感があることを指摘し、ロレッタ・ベンダーは『最悪な家庭といえども最高の施設に優る。』と述べた。近代では様々な家庭の事情で職員の専門的な支援を受けながら生活を営むこと安心出来る養護的な空間という一方で、ホスピタリズムと呼ばれる施設特有の身体的・情緒的歪みが指摘され、家庭で暮らす子ども以上に行動の制限、自己決定の制限、プライバシーの制限など集団生活に伴う多くの制限が課されている。集団的ケアの欠点を修正するために、生活単位の縮小化や里親制度の充実を図ろうとする家庭的な立場もある。

 

【出典、引用元】 ・「いちばんわかりやすい18年度版【下】、19年度版【上】保育士合格テキスト:コンデックス情報研究所著」 ・ドルトンプランhttp://sugp.wakasato.jp/Material/Education/el/e04b1/class09/daltonplan.htm ・デューイ http://center.ed.kanazawa-u.ac.jp/~taguchi/taguo/manabi/educator.htm ・ルソー http://sugp.wakasato.jp/Material/Education/el/e04b1/class04/rousseau.htm https://mbp-japan.com/hyogo/hasegawa/column/2838491/ ・キルパトリックhttps://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%83%E3%83%89-127943 ・ペスタロッチ https://meaning-book.com/blog/20190621133933.html ・生活教育 https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E6%95%99%E8%82%B2-85584

「エミール」「隠者の夕暮れ」「学校と社会」を是非読んでみたい。。。 知識や知性を幼少から求められる場合もあるが、私は、遊びや生活から湧き出た実践的な知が確かなものになると勝手に想っている。姉がやるトランプが楽しそうだから数字を覚えていく。

私の漠然で小さな想いは学校や幼稚園に行く理由の一つは人と人の関係を学ぶ場であり、学力を高める場として先立たせてはあまり期待していない。と言っては子ども及び教師に失礼な話だが、読み書きできる素晴らしさも現代の教育のたまものである。何を感じているかが大きな基で、その後にどう表現するか、私の場合だけど大事にしたい。感じられる感情が無ければ、教育はただの型でしかないのではないか。がそこ(型)から感じ解るものある。だからどっちが良いとかは提言出来ない。

虐待は現代だけでなく、子どもに強制労働をさせる時代から根づいていた。昔と現代の虐待と区別する必要があるが、弱い立場に置かれた子どもは、周りの人間によって生きやすさが左右されていた。その中で家庭という最小規模の団体の充実した営みこそ生き生きした生活を生むような気がした。『家庭は文明の最高の創造物である。』最悪な家庭といえども最高の施設に優る。』と、この家庭の尊さ平凡な生活も決してつまらない、無意味ではないことを私は“じーん”と感じながらも、一歩出た学校、地域、社会も私たちが育つ上で大事な世界への戸口を見極めて開けておきたいとも想う。世の中の流れは驚くほど一過性なものが多く惑わされる。いろんな人と接する場合、違いで悩み、めんどくさがられる場合も多くあるだろうが、私は高度で刺激的で、文明高い事よりも、簡単で単純な所帯染みた生活を噛みしめて生きたいシワシワのつまらない人間です。反対!東京へ出て行って一定の給料をもらい地位を築き家庭を築いていたのに出戻ってきて!もうなんて言わないで!